「捨てられないTシャツ」私編~夢のカリフォルニア~

都築響一さんの「捨てられないTシャツ」を読んで、やはり人それぞれの「捨てられないTシャツ」があり、その背景にはいろいろなストーリーがあるもんだと面白く思ったのですが、実は私にも一枚どうしても捨てられないTシャツがありますので、今回はそのお話しを書きたいと思います。
それは私の学生時代最後の夏休み、どうしても行きたかったアメリカへ昼夜必死でアルバイトしたかいもあってやっと行けることになりました。その頃は短期留学というのが流行っていて、内実は民間の旅行業者の営利事業なんですが、「留学」という口実もあって親受けも良いのか、けっこうな数の若者が参加してたように思います。
 私たち世代は小さいころからアメリカのTV番組を見て育って、高校時代は雑誌「POPEYE]とかの影響でアメリカのフアッションや文化に強い憧れを持っていました。アメリカは豊かな国、人々は明るくフレンドリー、広い芝生の大きな家、大きな車で大きなスーパーマーケットに行き一杯買い物をして大きな冷蔵庫に入れるとか。とにかく映画やTVドラマ、雑誌からの情報だけでイメージが出来上がっていましたから良いイメージだけなのは当たり前ですが。
 私も含めてほとんどが海外旅行が初めての若者、行先は夢のカリフォルニアですから行きの飛行機の中はいやがうえにも盛り上がります。隣の座席のA君などは「毎日パーティで毎日でかいステーキ出てきたら、どうしょう?すごく太ってしまうやん」とか言ってテンションあげていました。
 そして無事アメリカへ到着した私たちは、それぞれのホストファミリーに引き取られていきました。
私のホストファミリーはなんと奥さんが日本人!当然家庭内の会話は日本語で、何のための「留学」かわかりません。
 そこからが現実のアメリカとの遭遇が始まるわけですが、出だしからそんな感じで何だか先行きに不安を感じてはいたのですが、ホストファミリーの旦那様は、白人でガーデナー、日本でいう庭師ですが、日本と違ってそんなに特別な技術はいらない、どちらかというと土木工事的な肉体労働という感じです。家庭は決して裕福という訳ではなく家も小さくて私たちが想像してたような感じではありません。
ホストファミリーは善良な人たちでは、有りましたが、そんなわけで旦那さんも帰宅後はTVの前に座ったきりで、あまり会話もなく、
休日にどこに連れて行ってくれるわけでもないので、退屈した私は一人でどこかに行こうかとも思いましたが、どこか近所に行くにも車がなければ、どこにも行けないアメリカの広大さを思い知らされました。
 ある日意を決してサンフランシスコまで一人で公共交通を使っていったのですが、これが夏だというのにひどく寒く、道いく人々は毛皮のコートなど来てる人もいます。あわてて近くのスーパーでパーカーを買いましたが、いつ冷たい雨が降ってくるかわからない曇天で
「カリフォルニアの青い空」などはどこにもありません。日が暮れたらホールドアップも出るというので早々に帰途につきました。
また他のホストファミリーに引き取られたA君ですが、毎日授業で会うたびに細くなっていきます、「どうしたの?」と聞くと毎日出てくるのは豆とミルクの食事ばかり、彼のホストファミリーは宗教のかげんで肉食はもちろん、お酒、清涼飲料水もだめということで長髪(その頃の若者の定番)あごひげのA君の姿ははだんだんイエスキリストのようになっていきました。
 これではいかん、本当にやばい(本来の意味で)ということでうちのホストファミリーの奥さんに相談したところうちに連れてきなさいといってくれたので、ある日の夕食に招待したところ奥さんの作ってくれた料理をそれこそ涙を流さんばかりに「んめー、んめー」とヤギのように叫びながら頬張るA君の姿をみて我々もよかったよかったと大いに喜びました。20170713134237.jpg
 他にもメキシコ人の家庭に引き取られた人はベッドを明け渡してくれた子供たちは床にシーツを引いて寝てたとか、かと思うと金持ちの家に当たった人は、本当に連日パーティのような生活や家のような豪華キャンピングカーを見せられたとか、とにかく悲喜こもごも本当のアメリカの姿を教えられた2か月間でした。
 そんな中でも雄大なヨセミテ国立公園の自然やキャンプで見た星空の美しさ、訪ねて行ったバークリーで学生の人たちとキャンパスの芝生の上で一緒に歌ったジョンデンバーの「カントリーロード」などいい思い出もあります。
 本題のTシャツはその時、バークリーの生協で買ったもの。この時代は本当のMADE IN USAで本当に丈夫、いまだにやぶれもほつけもありませんし首回りも全然伸びていません。これだけが本当に唯一自分が憧れたアメリカでした。スイートビターな青春の思い出と一緒になかなか手放せません。