死を想う。

久々に復活したブログのタイトルがこれかい!
と憤慨される数少ない読者のかた(まだおられると願いつつ)もおられるかと思いますが、私は決して病んでるわけではありません(笑)

直接には今月KYOTOGRAPHIE国際写真祭で見た吉田亮人さんの「Falling Leaves」、建仁寺両足院で展示された荒木経惟さんの
「机上の愛」この2つの写真展に触発されたことと、間接的にはここ数年知人の方々がまだまだこれからという年で亡くなられたりしたことなどもありで、最近「死」について考えることが増えたということで、ふと久しぶりにブログに綴ってみたくなったんです(まったく勝手ですいません。)
吉田さんのほうはFB,ツイッターで」つぶやきましたのでここでは言及しませんが、素晴らしい写真展でした。今でしたらまだ間に合いますので是非ご覧になってください。
荒木さんのほうは今回のは正直よくわかりませんでしたが、彼の写真にはいつも「死」の影がどこかに漂ってるような気がします。
 それでもまだ救いがあるのは一種のつきぬけ感というか、独特のいい意味での「軽見」があるのが天才アラーキたるゆえんでしょうか。
考えてみれば子供の時、布団に入って寝る前の時間にぼくもいつか死ぬんだな~などと考えて寝れなくなったとかありませんか。
 それから大きくなって若者時代は永遠に時間が続くみたいに死などどっかにふっとんでしまっていましたが、ある日ふと気が付くと40歳前後でしょうか、今まで生きてきた時間をひょっとするとこの先もう生きられないかもしれないと思うと折り返し点をすぎたのかな、意外と人生短いぞと思わざるを得ませんでした。
 それから「死」というものを意識せずにはいられなくなり、本や映画などにもそれらしいタイトルがあれば見てしまい、なにかのきっかけがあれば「死」を想うようになりました。
 おしゃれに外国語でいえば「メメント・モリ」死を想えという意味らしいです。
死があるからこそ生があり、よりよい生をいきようぜ!という肯定的な意味らしいです。
 ま、でもこのバカ頭でいくら考えても死=人生の答えがでるはずもなく、どうあがいても人間のコントロールできるものでもないので、
来たときにはただただ受け入れるしかありません。
 その時は平知盛(平家物語で一番好きな人物)のように「見るべきほどのことは見つ」と言って死にたいですね20170503154112.jpg
 <建仁寺両足院にて荒木経惟氏の書>